イタリア人監督、フェデリコ・フェリーニの名作です。
茶釜は食わず嫌いなところがあって、今まで勧められても見てなかったのですが、このたびやっと見ました。
知らない方も多いと思いますので、簡単なあらすじをば。
大道芸人のザンパノは、風変わりな娘ジェルソミーナを道連れにして旅をしている。
ザンパノにめちゃくちゃに扱われる彼女は、綱渡りの青年に心のよりどころを求めるのだが、彼とザンパノは犬猿の仲。
ついにザンパノは、誤って綱渡りの青年を殺してしまう。
彼女はそのことによるショックで心のバランスを崩してしまう。
困ったザンパノは、これ以上彼女を連れて行けないとして、彼女を残して一人旅を続ける。
5年後、旅を続けるザンパノは、偶然ジェルソミーナが死んだことを耳にし、激しく涙する……。
もう、ほんっとうに暗い映画でした。
暗いといっても、なんというか、残酷な真実がどんどん見せ付けられる暗さと違うというか、
登場人物全員が、人間の闇の部分を背負っていることがまざまざと分かる暗さというか……。
主人公のジェルソミーナは、不思議な言動が多く、世の中に上手く対応できない。
また、綱渡りの青年が死んだ後は、常に何かに怯え、”彼(殺された青年)の様子が変だ”と仔犬のような声で泣く。
ザンパノは、気性の荒い犬のようで、本当はジェルソミーナに話しかけたいのに、吠えることしか出来ない。
まあ、むちゃくちゃに扱うといっても、2006年現在、たくさんの映画が世に出ている現在、ザンパノの”むちゃくちゃ”は優しいくらいですが。
この映画が作られたのは、1954年。もう50年以上前の作品なんだな、と妙に感慨を感じました。
綱渡りの青年(名前を忘れた……orz)は、ザンパノにわざとちょっかいをかけ、結果として彼は自分で自分の死を招いてしまう。
その他にも、娘を一万リラとひきかえにザンパノに引き渡したのに、”行かないで”と旅立つジェルソミーナにすがる母とか。
旅をしていくわけですから、色んな人々に出会う。
その人たちは、どこか顔に影が差しているのが印象的でした。
また、この映画は音楽が印象的でした。
どこかで聞いたことがあるあのテーマソング。
あれを初めて聴いたとき、茶釜は言い知れない恐ろしさをこの曲の中から感じたのを、よく覚えています。
哀愁の漂う美しいメロディーラインなのに、どこか背筋を寒くさせる曲調。
それは多分、この作品そのものが持っている暗い影がにじみ出ていたからなのではないかと、今は思っています。
で、この映画のテーマは何かというと、簡単には言うことが出来ません。
ただ、それは決して悪いことではなく、むしろいいことなのではないかと思います。
最近の映画は、特に娯楽大作は、テーマは明確なものの、お客に丸投げしてほっときっぱなしという印象が受けます。
「道」という映画は、簡単にテーマは示してくれないものの、「さあ、どうぞ考えてください」という雰囲気が漂っていたように思います。
最後に、綱渡りの青年がつぶやいていた言葉がとても印象的でした。
「俺は無学だけど、何かの本で読んだ。この世にあるものは、みんな何か役目があるんだ。この小石にも。
俺にはただの小石だけど、ここで小石に意味がないとしてしまうと、俺にも意味がなくなってしまう」
こんな感じでした。
今はもう、使い古された感じのある言い回しですが、いつ事故とかで死ぬか分からない大道芸人が言うことで、余計に重く響く気がしました。
何にせよ、たまにはこんな映画を観るのもいいものだぁ〜。
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